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文 清水麻衣子
写真 近藤 篤
2021.01.13
2011年3月11日のあの時間、横浜みなとみらいホールへ向かう車の中にいたピアニスト・辻󠄀井伸行さん。来日していたBBCフィルとのコンサートは中止。それでも数日後にはアメリカツアーに出かけなくてはならず、遠く離れた日本を心配する日々が始まりました。人々の価値観まで揺るがした天変地異、そしてコロナ禍で再び迎えた試練。今年開催の「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」にも出演される辻󠄀井さんに、音楽で届けたい想いについて伺いました。
※BBCフィル(BBCフィルハーモニック):マンチェスターを本拠地とする英国放送協会(BBC)傘下のオーケストラ。
震災や新型コロナウイルスといったハードな状況に、辻󠄀井さんは音楽家として何を思い、どのようなアクションをとられてきましたか?
震災後、1か月くらいアメリカツアーを行わなくてはならず、そのとき、周りの皆さんがとても心配してくださり、サポートしてくださいました。すごく不安な中、僕もいろいろと考えさせられ、音楽で「諦めないで」という気持ちをお伝えしたいなと思って、『それでも、生きてゆく』という曲を作りました。この曲は国内外で折に触れて演奏している、僕にとってとても大切な曲です。現在もコロナ禍でこれまで通りのコンサートができないという、音楽家としてとてもつらい状況ではありますが、音楽を届ける別の方法はないだろうかと考え、YouTubeチャンネルを開設し、オンラインコンサートなどもしています。コロナの1日も早い終息を願い、皆さまと笑顔で再会したいという思いを込めて、『笑顔で会える日のために』という曲も作りました。
YouTubeチャンネルでは松任谷由実さんの曲も演奏していましたね。クラシック以外だとどんな音楽がお好きなんですか?
YouTubeでは、尊敬するユーミンさんの『春よ、来い』を弾かせていただきましたが、意外とクラシック以外ではジャズも好きだし、あとは演歌とか、クレイジーケンバンドとか、幅広くいろいろな曲を聴きます。友達や周りのスタッフの方たちとカラオケに行って、氷川きよしさんなども歌いますし、気分転換でピアノとはまた違う音楽も楽しんでいます。
辻󠄀井さんの演歌、聴いてみたいです(笑)。音楽は辻󠄀井さんにとって、どういう存在ですか?
僕はどちらかというと、言葉で表現するよりも音で表現するほうが得意ですし、言葉では伝わらないものも、音楽なら伝えられる。音楽があるからこそ、喜びとか、悲しみとか、そういう気持ちに寄り添うことができますし、音楽のない生活は考えられない。僕にとってはなくてはならないものだと、ずっと思っています。
どんなときに音楽の力を感じますか?
僕の演奏を聴いて、皆さまがいろんなことを感じてくださっているときに思います。集中して聴いてくださっている空気も感じますし、拍手が聴こえてくると、喜んでくださっていることが伝わってくるので、皆さまと一体になれた気がして嬉しいです。人前でピアノを弾いているときは本当に楽しいし、いちばん幸せです。
音楽の力を感じてガツーンと感動した子どものころの想い出はありますか?
中学生のとき、エフゲニー・キーシン(ロシア、イギリス、イスラエルの国籍を持つピアニスト)のコンサートでサントリーホールに行ったのですが、彼の弱音(じゃくおん)に素晴らしく感動して、僕もサントリーホールの2000人規模のホールで、彼のような弱音が出せたらいいなと憧れていました。弱音を出すのってすごく難しくて、弱く弾こうとすると思っていた音がなかなか出ないですし、鍵盤を押せば音が出ますけど、押すタイミングも弱音はとくに難しい。僕も弱音を出すときはキーシンのような音を意識しているのですが、なかなか奥が深いんです。
中学生で弱音に感動するとは、さすがですね。その後サントリーホールの舞台に立ったとき、キーシンを思い出しましたか。
小さいホールでのリサイタルは経験があったのですが、サントリーホールの大ホールはキーシンの弱音に感動したときから憧れていた夢の舞台なので、デビュー後、大ホールでのコンサートが実現したときは緊張したし、興奮したのを覚えています。とても広いので、隅々まで自分の音を響かせるのはとても難しいんですけど、お客さまと一体になれたときの素晴らしさは本当に格別でした。
今後の目標や夢はありますか?
もちろんピアノレパートリーをたくさん増やして、ピアノコンチェルトの作曲もできたらいいなと思いますし、自分を目標にしてもらえるようなピアニストになっていけたらと思っています。
もうすでにかなりの人が目標にされているんじゃないですか?
いやいやいや、まだまだです。もっと勉強して、さらに世界で演奏し続けられるよう、皆さんに愛され続けられるよう頑張りたいです。夢というとけっこう実現していて、カーネギーホールも今まで何回もやりましたけど、これからもずっとカーネギーホールで弾き続けられるようなピアニストでいたい。国内海外問わず素晴らしいホールはたくさんあるので、やったことのないホールでもコンサートをしていきたいですね。
震災から10年という節目の今年3月に開催される「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」にご出演されますが、どのような思いでピアノを弾かれますか?
まだ大変な状況もあるし、とにかく皆さまに「諦めないでいただきたい」という思いがずっとあるので、その気持ちを音楽でお伝えしたいと思います。まだどの曲にしようかは決めていないのですが、『それでも、生きてゆく』は、僕にとって大事な曲なので、演奏させていただく可能性は高いですね。選曲についてはこれからゆっくり考えていきたいと思っています。
とても穏やかで、存在だけで周りの皆を和やかなムードに変えてしまう辻󠄀井さん。趣味は水泳に釣りと、意外な一面も教えてくれました。人々の心にそっと寄り添い、音楽の力で元気づけてくれる辻󠄀井さんのピアノ。2021年3月11日、武道館で開催される「“わ”で奏でる東日本応援コンサート」での演奏が楽しみです。
ピアニスト・作曲家
辻󠄀井伸行
2009年6月「第13回ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で日本人として初優勝して以来、国際的に活躍し、カーネギーホールの主催公演、イギリス最大の音楽祭「プロムス」への出演、ベルリン・フィルハーモニーなどの演奏会はいずれも絶賛され、ゲルギエフやアシュケナージなどの世界的指揮者との共演も常に高い評価を受けている。
※別ウィンドウで辻󠄀井伸行さんのサイトへリンクします。