文 生島 淳
写真 近藤 篤
いつも一所懸命。前半に後れをとったとしても、最後まで諦めない姿勢が胸を打つ。
これまでは「公務員ランナー」として知られていた川内優輝選手が、2019年4月からはプロランナーとして活動を開始。世界を舞台に年間40本ほどのレースに参加するほど「いそがしいランナー」だが、そこに疲れは微塵も感じられない。
その元気の秘訣はなにか? 川内選手に話を聞くと、マラソン大会の後の「とある喜び」が原動力になっていることが分かってきた。
年間40本ものレースに参加できる理由
川内選手は2019年4月に仕事を辞められ、プロランナーとして独立されました。それにしても、ものすごい数のレースに出ていますね。
年間で40回はレースに出場して、そのうち12、13本はフルマラソンという感じです。
1年365日、走るために生きているような。(笑)そもそもマラソンにチャレンジするきっかけはなんだったんですか。
僕は子どもの頃からマラソンそのものが大好きでして、「大学に入ったら、たくさん市民マラソンに出られるんだろうな」と想像していたんです。ところが、箱根駅伝に学連選抜で2度出場するような実力に一気に成長しまして。(笑)
いやあ、たいへんな実力です。年に200人くらいしか走れない大会なんですから。
そのためにフルマラソンデビューが遅れました。大学4年生の時の箱根駅伝を走りまして、卒業間際に別府大分毎日マラソンで初めて42.195kmを走りまして、そこからマラソンランナーとしてスタートしたわけです。
年間40本、1500mを走る時もあれば、ハーフ、そしてフルマラソンを走る時もある。ここまで走れるのは、速くなる、あるいは強くなるとは違うモチベーションがあるような気がしてならないんです。
おっしゃる通りです。私の趣味は、旅とマラソンなんです。
えっ? そうなんですか。
すなわち、旅行とマラソンを掛け合わせますと、「遠征」というものが完成します。
(笑)ということは、マラソンは旅の手段ってことですか?
旅は最高です。幸い、マラソンで実績を残してきましたので、今では日本全国ばかりか、世界の大会から招待をいただきます。以前は自費で参加していましたが、今では招待をいただき、その町を楽しみながらマラソンを走れるんですから、なんかもう、最高ですね。
川内優輝のマラソンランナーとしての夢
きっと、日本全国をマラソンで制覇されているんでしょうね。
私のマラソンランナーとしての夢は、日本全国47都道府県でゲストランナー、あるいは招待選手として走ることと、世界の五大陸を完全制覇することです。
えっ、まだ行ったことがない場所があるんですか? 川内選手が日本で走っていないところがあるのがむしろ驚きですよ。どこで走っていないんですか?
どこだと思います?
(笑)想像もつきませんよ。
三重県なんです。これまで公認のフルマラソンがなかったので訪ねる機会がなかったんです。いつかチャンスがあれば、ぜひとも行ってみたいですね。
三重県とは意外です。瀬古利彦さん、2019年9月に行われたマラソングランドチャンピオンシップで勝った中村匠吾選手も三重県出身ですし、全日本大学駅伝のゴール地点は伊勢神宮ですから。
学習院大学は、残念ながら全日本の予選に出場できるほどの実力がなかったんです。(笑)
世界に目を転じると、五大陸完全制覇が目的ということは、これまで行ったことがない大陸があるということですね。アフリカですか?
あるんです、アフリカは。2015年に南アフリカの「ケープタウン・マラソン」に招待されたんですが、ちょうどその時期が日本のシルバーウィークに重なってまして、参加することが出来たんです。
とすると、残るは南アメリカですか?
お察しの通りです。今までにもアルゼンチンのブエノスアイレス、ブラジルのリオデジャネイロからは招待をいただいていたんですが、勤務していたこともあり、移動で丸1日かかるので参加は難しかったんです、今はプロになって参加するチャンスが格段に増えましたね。近い将来、南アメリカ大陸に足を踏み入れてみたいと思っています。
世界中を旅して楽しんでいる様子が伝わってくるようです。なにか、世界を旅するためにトレーニングをして、マラソンに出場する。川内さんの生き方が垣間見えてきました。
僕が何より楽しみにしているのは、レースが終わった翌日、月曜朝の朝食なんです。レースに向けては体重管理も重要なので、食べすぎには気をつけますし、揚げ物を控えたり気を配ります。でも、想像してみてください。すべてから解放されて、その町の特産品、名物が並んだ朝食の席を。これはもう、とても幸せな気分になれます。
聞いているだけで、お腹が空いてきます。だからこそ、いろいろな場所で川内さんは走りに行くんですね。
日本各地で御当地グルメをいただくのは最高ですし、ヨーロッパのホテルブレックファストも素晴らしいです。アメリカの場合は、ケータリングになってしまうことも多いので、私の満足度は少しばかり落ちます。(笑)
それは川内さんにしか分からないことですよ。でも、そうした「月曜朝の幸せ」を感じられるのも、レースで完全燃焼しているからですよね。
市民ランナーから世界の川内優輝へ
私の場合には週に2回ほど、「ポイント練習」と呼ばれる強度の高い練習を設定します。公務員時代に自分で活動をするようになってから、週に一度、レースに参加することが僕自身にとってはポイント練習になっていたんです。ですから、ひとつひとつのレースを真剣に走ることが僕のモットーでもあります。
参加するレースを大事に捉えることが、そのまま強化につながったわけですね。今日は埼玉県の久喜市で取材をさせていただいていますが、毎年3月に行われる「久喜マラソン大会」では仮装をしていますね。
年に一度はそうした楽しみ方があってもいいかなと思ってまして。2016年の第1回大会の時には、スーツ姿で参加させていただきまして、66分台をたたき出してしまいました。(笑)
スーツ? 走りにくいですよね、やっぱり。
それはもう、勝手が違います。でも、スーツで速かったというのが世界的に話題になりまして、ロシア、ウクライナ、イタリアあたりでは「スーツ優輝」といいうニックネームを頂戴しました。
川内さんのこと、公務員からプロに転向したばかりのランナーとばかり思ってましたが、スケールがまったく違いますね。マーケットがワールドワイドです。
僕が台湾でマラソン大会に出た時は、レース前日にトークイベントがあって、300人ほどの方がいらっしゃいました。アジアはマラソンに対する関心が高まっているのを肌で感じます。
川内選手の話を聞いていると、プロランナーであっても、オルタナティブ、別の生き方があるんだなと実感しました。
走ることを楽しむ、それが何より大切です。ベルリン、プラハ、とても素晴らしい町でした。バルセロナやマドリードでは大晦日に走って、そのままパーティになだれ込む。なかなか素敵な年越しでした。
そして川内さんは、伝統と格式の「ボストンマラソン」のチャンピオンでもある。
2018年に優勝したんですが、それからは「ボストン・チャンプ」と呼ばれるようになりまして。これもまた、素晴らしいレースです。ランナー、そしてボストンのファンの方々が誇りに思ってとても大切にしていることが伝わってくるレースです。
「世界の川内」になったんですね。
好きなことを仕事に出来たんです。これほど素晴らしいことはないと思えますね。