文 田中凌平
陸上競技には多くの種目がありますが、競技場のトラックではなく、1人で42.195kmを走るマラソンのようにロード(一般道)を主戦場とする種目もあります。その1つが「駅伝」です。チーム一丸となってフィニッシュに向かい、汗と涙がしみ込んだ襷をつなぐランナーの姿は見る人の心を動かします。
駅伝は冬場を中心に毎年大きな大会が開催されていることもあり、テレビ中継を楽しみにしている人も多いでしょう。テレビまたは沿道での駅伝観戦がより楽しめるように、駅伝の魅力やルーツに迫ります。
観戦をより楽しめる駅伝の雑学
学生の大会を筆頭にテレビ中継も盛んに行われ、陸上競技の中でも高い人気を誇る駅伝。多くの方が見聞きしたことのある種目ですが、改めて「駅伝ってなに?」と問われると明確に答えられない方もいるでしょう。駅伝の正式名称やルール、チームの伝統や想いをつなぐ襷の誕生秘話など気になる雑学を紹介します。
駅伝の正式名称とルール
駅伝の正式名称は「駅伝競走」です。各ランナーが決められた区間を走り、チームの合計タイムを競います。短距離リレーのバトンではなく、襷をつなぐ点が駅伝の特徴の1つです。海外では「EKIDEN」と呼ばれており、「EKIDEN DE PARIS(パリ駅伝)」や「EKIDEN DE STRASBOURG(ストラスブール駅伝)」などフランスではいくつかの大会が実施されています。
ワールドアスレティックス(世界陸連)では「Road relay」として、マラソンと同じ42.195kmを6区間に分けたリレーを公認しています。1、3、5区間目が5km、2、4区間目が10km、ラストの6区間目が7.195kmという区間配分です。日本で行われている駅伝は、下記のように大会ごとに距離や区間数が異なります。
各大会ごとに区間の距離や高低差などが異なるため、区間の特徴を踏まえて最大限の力を発揮できるランナーを起用することが勝敗の鍵を握ります。
また、ランナーは襷を肩から脇の下にかけ、次のランナーには投げずに手渡しでつなぎます。また、襷の受け渡しは、幅50mmの白線で示され中継線から進行方向に20mの範囲内に限定されます。襷を渡す際、前走者が襷を外すのは中継線手前400mからであり、次走者が襷をかけるのは中継後200mまでがおおよその目安となります。
駅伝の魅力とは?多くの人が心を奪われるワケ
駅伝の魅力の1つは、団体戦であることです。駅伝は各区間を1人で走り切るという自分との戦いである一方、チームで勝利を目指します。陸上競技は個人種目が大半ですが、駅伝ではチーム一丸となってゴールを目指すため、その姿が人々の心を掴んでいるようです。
駅伝は団体戦であるがゆえに、レースの裏で多くのドラマが生まれます。あるランナーに襷が渡ってから逆転することや、大きなリードが転倒などのアクシデントによって後退する可能性が駅伝にはあります。首位と大きく離されてしまうと「繰り上げスタート」といって、襷をつなぐことができずに次のランナーがスタートすることもあります。
また、目標とする大会に出場できたとしてもチーム内での争いなどがあり、多くの物語が生まれるのです。当日のレースを観戦するだけでも十分白熱する駅伝ですが、チームや選手の背景を知ることで団体戦ならではの物語を感じ、より魅力が深まるでしょう。
秋から冬に行われるのはタイムを出すため!?
国内の駅伝は10〜1月、マラソンは12月〜3月に行われることが多く、これは気温がランナーのパフォーマンスに大きな影響を与えるためです。
2021年にアメリカで実施された調査によると、ランナーがパフォーマンスを発揮できるのはフルマラソンだと5〜13度、駅伝のおよそ1区間の距離である5kmと10kmは13〜17度という結果が出ました。そのため、日本ではランナーが最大限のパフォーマンスを発揮しやすい秋や冬に、駅伝とマラソンが行われています。
また、同調査では気温が高くなるにつれて、ランナーの健康に対するリスクも提唱されています。実際に2021年の夏に東京で行われた世界の大舞台では、出場した106名のうち30名が熱中症の症状で棄権しました。 長距離走において、気温とパフォーマンスには大きな関係性があることが分かるでしょう。
駅伝に欠かせない襷の誕生秘話
チームの伝統と想いが込められた襷――。駅伝に使用される襷にはどのような歴史があるのでしょうか。
襷は駅伝が生まれる前から使われていたとも言われています。三重県で行われていた三重高等農林(三重大農学部)と神宮皇學館(皇學館大学)の徒歩競争において、両校の特色を出して三重高等農林は鍬(くわ)、神宮皇學館(皇學館大学)は笏(しゃく)をバトンの代わりに持っていました。
これでは鍬を持っている三重高等農林が不利となってしまうため、武田千代三郎氏が伊勢神宮の神職が使っている「木綿襷」をもとに、襷を発案したとされています。
また、現代の襷の規格については、布製で長さ1m60cm〜1m80cm、幅6cmが標準です。チームで襷を持参する場合は事前に承認を得る必要があります。
駅伝のルーツ・日本で普及した歴史とは
冬の風物詩として多くの日本人に愛されている駅伝ですが、日本独自の駅伝文化はどのように誕生したのでしょうか。駅伝のルーツや日本で普及した歴史について紹介します。
「駅伝」が誕生したきっかけは「駅伝制」と「飛脚」!?
駅伝という言葉は古くから存在し、奈良時代に成立した「日本書紀」にも痕跡が見られます。誕生のきっかけは「駅伝制」と言われており、駅伝制とは「駅馬(えきば)」や「伝馬(てんま)」と呼ばれる馬を使って情報のやり取りを行う制度です。
鎌倉時代になると、現在の郵便制度のもととなる「飛脚」が登場します。飛脚とは手紙や物品などを運ぶ人であり、約500km離れた東京と大阪を3〜4日で走ったと言われています。ただし、飛脚は1人で約500kmを走るのではなく、約10kmを交代して走っていました。このような「駅伝制」と「飛脚」が現在の駅伝誕生のきっかけと考えられます。
日本で最初に開催された駅伝とは
日本で最初に開催された駅伝競技は、1917年の「東京奠都(てんと)記念東海道五十三次駅伝徒歩競走」です。「東京奠都」とは、1868年の明治維新によって江戸が東京となり、都として定められたことを指します。東京奠都の50年後である1917年に「東京奠都50周年奉祝大博覧会」が開催されました。
その際のイベントとして、明治天皇が京都から江戸城へ移った道のりを再現しようと、讀賣新聞社会部長の土岐善麿氏の発案で「東京奠都記念東海道五十三次駅伝徒歩競走」が誕生したのです。なお「駅伝」と名付けたのは、襷を発案したと言われる武田千代三郎氏とも伝えられています。この駅伝は関東組と関西組の2チームによって、約500km のコースを23区間に分けて行われました。昼夜問わず3日間走り続けた結果、関東組が勝利しました。
しかし、当時はコース途中の木曽川や天竜川に橋がかかっておらず、ランナーは渡し船で渡ったとも言われています。さらに夜中も走っていたことから道は暗く、住民が松明(たいまつ)を灯していたと言われることからも、過酷なレースだったと想像できるでしょう。スタート地点であった京都府の三条大橋と、ゴール地点であった東京都の上野不忍池には、今でも駅伝発祥の記念碑が立っています。
日本各地で駅伝大会が開催されている
現在は多くの学生や社会人、男女問わず全国各地で駅伝大会が開催されています。年齢層や地域別でさまざまな大会があるので、この機会に駅伝の大会をチェックしましょう 。
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