文 大西マリコ & 久下真以子
写真(佐藤選手・田中選手) 落合直哉
写真(北口選手) フォート・キシモト
ヘアメイク(田中選手) 長谷川真美
東欧・ハンガリーで開催され、地元ファンの大きな声援に後押しを受けて熱狂と喝采の中で幕を閉じた第19回世界陸上競技選手権 ブダペスト大会(世界陸上ブダペスト23)。世界のトップアスリートが集う陸上競技の最高峰の戦いは、世界陸上オレゴン22に続いて2年連続で開催された。各種目で多くの日本人選手が活躍を見せる中、特に輝きを放っていたのが女子やり投げ・北口榛花選手、男子400m・佐藤拳太郎選手、女子5000m・田中希実選手の3人だ。
日本女子でフィールド種目初となる金メダルを獲得した北口選手は、間違いなく世界陸上ブダペスト23の主役の1人だった。佐藤選手は32年ぶりに男子400mの日本記録を更新。田中選手は女子5000mで26年ぶりとなる日本勢の入賞を果たした。陸上競技の最高峰の大会を大いに沸かせた3人に、改めて世界陸上ブダペスト23について振り返ってもらった。
世界陸上での快挙と歓喜の裏側でこぼれた本音
北口選手「チェコの友人の祝福で湧いた金メダルの実感」
写真 フォート・キシモト
世界陸上ブダペスト23では、最終投てきで66m73を記録して逆転優勝しました。ただ、その6投目はまったく記憶にないんです。嬉しいという感情すら忘れたかのような興奮状態でした。その後もずっとふわふわした気分で、まるで魔法にかかっているような感覚でしたね。
金メダル獲得の実感が湧いてきたのは、1週間後くらいです。拠点にしているチェコに帰ると、街中で地元の方が「おめでとう!」とたくさん声をかけてくれて、ようやく実感できました。世界一になったことをたくさんの人が喜んでくれましたが、チェコの友人やコーチが喜んでくれたことがもっとも印象深い出来事でした。
チェコで行きつけのカフェがあるのですが、そこで友人やコーチ、コーチの家族たちが日本のユニフォームを着てお祝いしてくれたんです。日本とチェコ、それぞれの国旗が乗ったケーキも作ってくれていて、本当にハッピーでした。実はチェコ人はシャイな人が多いんですよ。私も、4年滞在してようやく認識してもらえた感じなので、そんなチェコの仲間たちがこんなに喜んでお祝いしてくれるなんて、感激もひとしおでした。
佐藤選手「出せると信じていた“最低限の日本記録”」
写真:フォート・キシモト
400mで日本記録を更新できたことはもちろん嬉しかったのですが、最低限の目標だったので正直、自分の中では満足していません。これまで「日本記録を更新した時に自分は何を思うのかな?」と何度も想像してきました。達成感があったり、手放しで喜んだりするのかなと思っていたのですが、実際は驚くほど冷静な自分がいました。むしろ私よりも周りのみなさんが喜んでくれて、周囲を笑顔にできたことが嬉しかったですね。
また、手放しに喜べなかった理由としては、400m日本記録更新の他にもう1つ、『1600mリレーでのメダル獲得』を目標に掲げていたからです。2つの目標のうち1つが達成できなかったことには悔いが残ります。しかし、結果的に予選落ちだったものの、タイム的には日本歴代2位の3分00秒39は収穫でした。あのレースを次に活かすためにも、さらなる成長を見据えてポジティブに捉えないといけないですね。
次回大会は世界陸上東京25です。自国での開催が決まっているので、この悔しさを忘れず、今回の失敗を活かして次につなげたいと思います。
田中選手「5000mで入賞できたことで明るく振り返れた大会」
写真:フォート・キシモト
5000mで入賞という結果を出せたので、この大会を明るい気持ちで振り返れています。ありがたいことに26年ぶりの入賞ですが、26年は短いという印象です。だから私の記録に関しては、100年は破られたくないですね(笑)。
ただ、1500mと5000mの2種目両方で決勝に残ることを目標にしていたので、先に出場した1500mでの準決勝敗退のショックが大きく、苦しい時間のほうが長い大会になりました。調子の良い時は感情を『無』にして臨めるのですが、1500mの準決勝の日は朝から集中できませんでした。
当日、実はコーチでもある父と衝突したんです。 「今日はいける気がしない。」といった発言ばかりをしていたら、父に「もう今日(の準決勝)は無理だよ。」と言われました。本当は心のどこかで、「無理じゃないよ、大丈夫だよ。」と言ってほしかったんですよね。父からすれば、たとえ調子が悪くても「頑張るから!」という私の言葉を期待していたと思います。お互いに口にしてほしい言葉があって、それが噛み合いませんでした。
でも現地でサポートしてくれるスタッフに対してネガティブな発言をすることは、みんなを裏切ることにもなると気づかされました。走っている瞬間は1人かもしれませんが、「チームで戦っているんだ!」と胸に刻んで前を向けたことが、5000m入賞につながったんだと思います。
世界陸上で大活躍できたワケ!成功の秘訣とは?
北口選手「機能的な体の使い方を学び辿り着いた頂点」
写真 日本陸上競技連盟
金メダル獲得の要因としては、大きなケガなく試合に臨めたことが一番大きいと思います。これまでシーズン中は体のどこかをケガすることが多かったのですが、約3年前に『解剖学的立位肢位』の考え方に出会って徐々に体が変わり始めました。
簡単に言うと『姿勢矯正』というか、理科の実験室にあるガイコツのような理想的で正しい姿勢と骨の位置に近づくことを目指しています(笑)。骨が歪めば筋肉も正しく動かないことを教わり、人間本来の体を機能的に使える姿勢になるためのケアを重視しています。
その結果、体や動きに無駄がなくなるなど、大きな変化を感じました。以前はオフなしで練習漬けだと体がもたなかったのですが、このケアを始めてからは練習量を多くこなせています。体の歪みがあるというマイナスからではなく、歪みのないゼロからのスタートなので、その分エネルギーを使わずに無駄なく練習できます。歪みはすぐには治らないので、3年前から少しずつ積み重ねてきた結果、年々状態が良くなってきました。これからもさらに上を目指せると思っています。
佐藤選手「400mで証明した科学×分析のハイブリッドの成果」
写真 落合直哉
400mでの日本記録更新は、「おそらく出せるだろう!」と思っていました。これまでは経験値を大事にしてきたのですが、自分の中でどこか限界が来た印象があったんです。そのため、2023年は、科学と分析をハイブリッドさせた改革の1年目となりました。
私は2022年まで大学院に通っていたのですが、400mの研究実験を数多く行い、『400mを速く走る方法』について自分の中で手応えをつかみました。詳細は話せませんが、簡単に言うと『世界のトップスプリンターに共通する後半200mのスピードを高める走り方』です。
私もこれまでは前半200mにこだわって後半の走りをあまり意識していませんでした。しかし、世界のトップスプリンターの多くが後半200mを重視しています。そこに着目した2023年は、後半を意識した走りで8月の世界陸上ブダペスト23で44秒77を記録し、9月の杭州アジア競技大会では銀メダルを獲得しました。改革が結果として現れ始めていますね。結果を出す自信があったので、これまでのように「ただ世界陸上に出場できて嬉しい!」という感情はなく、「しっかり勝ちに行く。」という心算で大会に臨めたことが大きいと思います。
田中選手「オレゴンからの1年、頑張ってきた体は裏切らない」
写真 落合直哉
1500m準決勝で敗退してから5000mまでの3日間、精神的にはボロボロの状態でした。それにもかかわらず、練習ではすごく走れていたんです。世界陸上オレゴン22を終えてから地道に練習に取り組んできたので、体は裏切らないことを実感しましたね。十分に走れる体だったからこそ、『気持ち』で挑まなければいけないと痛感しました。
2023年6月に行ったケニア合宿の経験もプラスになっています。レベルの高いトレーニングが積めたのはもちろん、朝にメインの練習を終わらせて日中はゆっくり過ごす時間を取るなどメリハリのある17日間を過ごしました。アスリートである以上、しっかり休養する時間も大事ですし、オンオフの大切さを学びましたね。
普段の練習でも、オンオフをつけるように意識しています。オフの時間の趣味は読書です。陸上競技にまつわる小説も、児童文学も大好きでよく読みます。中でもファンタジーな作品は、空想の世界が現実にあるかのように思わせる文章表現が秀逸なんですよ。自分に置き換えると、『5000mで14分半を切る』という目標が、日々の努力によって夢物語から現実になる――そんなイメージです。そういう意味では、ファンタジーな作品を読むことも、競技生活に活きていると思っています。
全力を尽くして戦い抜いた「世界陸上の舞台」とは
北口選手「その年に一番強い人が決まる大会。それが世界陸上」
写真 フォート・キシモト
世界陸上は、その年に一番強い人が決まる大会だと思っています。2年に1回の開催ですが、世界陸上で勝てば2年間はワールドチャンピオンでいられるわけです。当然、チャンピオンは注目の的ですし、私も勝つことで自分への注目や関心の高まりを肌で感じました。
世界陸上ブダペスト23は、ドーハ、オレゴンに続く3回目の出場でしたが、予選時に世界ランキング1位だったので前回のオレゴン大会の時とは比べ物にならないほどカメラに撮られましたね(笑)。練習場でアップしている時は常にカメラがついてきましたし、移動の際も私だけカメラがついているカートに乗るように指示されたこともありました。「これが1位で臨む世界陸上なんだ。」と実感する貴重な体験になりました。
今回が最後ではなく、これからもトップであり続け、トップを目指し続けたいと思っています。今後も注目してもらえるよう頑張ろうと思いました。
佐藤選手「世界陸上ブダペスト23は勝負に徹した戦いの舞台」
写真 落合直哉
世界陸上は、各国からトップアスリートが集う最高峰の陸上競技大会です。特に今回のブダペスト大会は、私にとって大勝負の舞台でした。これまでは「世界に挑戦、世界を経験。」という気持ちが大きかったのですが、今回は完全に「決勝で戦う!メダルを狙いに行く!」という強い意識で臨めました。
ブダペストの会場は、前回のオレゴン大会と比較しても大きな会場だったにもかかわらず、観客席は満員。ものすごい熱気を感じました。その中で走れる喜びは格別で、気分も高揚しましたね。世界中からトップアスリートが集結するという意味では、競技だけでなく人格面でも学ぶことが多くあります。
今回も印象的なエピソードがありました。400m準決勝で招集所に入った際、世界記録保持者のウェイド・バンニーキルク選手(南アフリカ)が真っ先に握手をして「頑張ろうな!」と声をかけてくれたんです。後から来る選手全員に同じことをしていて、第一人者の立ち居振る舞いに温かい気持ちになりました。その後も日本語で「ありがとう日本、ありがとう東京!」と何度も言ってくれて、トップアスリートであると同時に人格者だなと。そういったこともあって準決勝の組が和やかになったのは、世界陸上ならではの良い思い出です。
田中選手「陸上競技の世界一を決める大会だからこその価値」
写真 落合直哉
私にとっての世界陸上は、『純粋に陸上競技の世界一を決める大会』です。陸上競技だけだからこそ価値があると思っていて、私は高校3年生の頃から世界を意識し始めました。ジュニアの世界選手権にも出場した経験はありましたが、世界陸上ドーハ19で初出場した際には、「やっと本当の日本代表になれた!」という気持ちになりましたね。
世界陸上はワイルドカード(前年の成績などによる特別出場枠)があるので、今回のブダペスト大会では5000mだとアフリカ勢が8人もいました。さらに2021年の東京で行われた世界の大舞台で金メダルをとったシファン・ハッサン(オランダ)もいる中で、日本人の私が入賞を目指すのは本当に高いハードルでした。でもだからこそ、挑戦しがいのある大会なんですよね。
陸上競技・やり投げ選手
北口榛花
1998年3月16日生まれの北海道旭川市出身。水泳とバドミントンで全国大会出場歴を持つなど、幼少期からフレッシュカジノ入金方法万能だったが、高校時代にやり投げと出合う。2021年の東京五輪で入賞を果たすと、世界陸上オレゴン22では銅メダルを獲得する。そして、2023年のダイヤモンドリーグでは67m04を投てきし、自らの持つ日本記録を更新。日本人初のダイヤモンドリーグ優勝、世界陸上ブダペスト23ではフィールド種目で日本人女子初の金メダル獲得を成し遂げた。
陸上競技・短距離選手
佐藤拳太郎
1994年11月16日生まれの埼玉県出身。中学時代は野球部に所属しており、陸上競技は高校から始めた。高校生のころは400mの他には200mを主戦場としていたが、大学時代に400m専門に。五輪にはリオデジャネイロ、東京と2大会連続で1600mリレーの代表に選ばれた。世界陸上ブダペスト23では32年ぶりに男子400mの日本記録を更新を成し遂げた。
陸上競技・中距離選手
田中希実
1999年9月4日生まれの兵庫県出身。幼少期は北海道マラソンで2度優勝した実績のある母親・千洋さんの練習を見て育ち、大学時代は父親の健智さんがコーチを務めるクラブチームで練習を重ねた。女子1000m、1500m、3000m、5000mと4つの日本記録を保持している。世界陸上ブダペスト23の女子5000mで日本勢として26年ぶりの入賞を果たした。