文 千田靖呂
写真 内海裕之
3月に入りマラソンシーズンも終盤に差し掛かったにもかかわらず、マラソン熱は高まり続けています。東京マラソン2021では、3年ぶりに市民ランナーが参戦。大都会のど真ん中に多くのランナーたちの笑顔が帰ってきました。エリートランナーに関しては、2022年夏にオレゴン開催の世界選手権での活躍が期待されており、2023年秋にはパリ開催の世界の大舞台への切符をかけたマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の開催も決定。今後も白熱の展開が待っています。
そんな注目度が戻りつつあるマラソン界において、特別な存在感を放っている解説者がいます。“細かすぎる解説”で有名な増田明美さんです。今回は多くの選手を取材し、数々の名勝負を解説してきた増田さんに、マラソンの気になる疑問に答えてもらいました。前編はペースメーカーと記録の関係性について。なぜ世界的なマラソン大会にはペースメーカーがいるのでしょうか。
ペースメーカーは「選手を運ぶ船」の役割を担っている
写真 内海裕之
今季は東京マラソンを筆頭に、コロナ禍の混乱からマラソン熱が帰ってきたシーズンのように思います。今後のマラソン界にはどんなことを期待していますか?
増田「盛り上がりはまさに“春の嵐”みたいですね!東京での世界の大舞台を一区切りに、マラソン界が再び動き出した印象です。各大会のMGCチャレンジの選考レースも盛り上がりましたし、2022年夏のオレゴンでの世界選手権、そして2024年のパリでの世界の大舞台に向けて一気に熱を帯びてきました。瀬古(利彦)さん(日本陸上競技連盟副会長)は良い仕事をしましたね(笑)。MGCができたおかげで、日本マラソン界の強化が進んでいると感じます。」
MGCへの出場権を懸けて、多くのランナーがタイム更新を目指していました。東京マラソンには世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ選手が参戦したこともあり、ペースメーカーの存在も話題になりました。
増田「ペースメーカーは、いわば“選手を運ぶ船”なんです。記録を出したいと願う選手の目標まで導いてくれる存在とも言えますね。記録が求められる大会では、序盤からハイペースを刻む必要があります。ペースメーカーが船となって後続に続く選手の潜在能力を引き出しているんです。なので、記録を狙ううえでペースメーカーは本当に重要な存在です。」
ペースメーカーの存在の有無によって、ランナーにはどんな影響が出るのでしょうか?
増田「ペースメーカーがいることで選手は、終盤までスタミナを温存できますね。マラソンは最後の最後で勝負が決まることも多いのですが、終盤に力を発揮できるかどうかはそれまでの体力温存にかかっています。その一翼を担うのがペースメーカーなんです。近年のマラソンではMGCの出場資格獲得など、それぞれの選手がタイム更新を目指しています。
2022年の大阪国際女子マラソンでは、優勝した松田瑞生さんのように日本記録を狙って優勝を目指すグループ、大会記録に照準を合わせたグループ、MGC出場資格獲得ができるタイムを狙いたいグループがありましたが、それぞれにペースメーカーがつきました。目的に合ったペースで選手を運んでくれているんですよ。」
実は性格も重要?ペースメーカーに求められる素養
写真 内海裕之
ペースメーカーの制度は日本でも昔からありましたか?海外のレースでは以前から取り入れられていたことが多いと思いますが。
増田「日本では2000年代に入ってからになります。最初に起用が公表されたのは2003年の福岡国際マラソンでしたね。でも海外ではそれよりも前に導入されていて、すでに当たり前となっていました。2001年の高橋尚子さんから2004年の渋井陽子さん、2005年の野口みずきさんと直近3回の女子の日本記録更新がすべてベルリンマラソンなのも、ペースメーカーと無関係ではないと思います。
ベルリンマラソンでは、ペースメーカーやガイドランナー合わせて6人ぐらいの男性に囲まれながら走っていました。選手は1km3分17~18秒のペースについていければ記録更新を狙えるというわけです。風除けにもなりますし、記録を狙うために最高の環境をつくり上げました。」
写真 フォート・キシモト
大会の主催者は、どんな基準でペースメーカーを選定しているのでしょうか?また、求められる人物像などはありますか?
増田「主催者は大会での記録更新を期待しているので、求められる人物としてまず挙げられるのは安定感です。走りが速いのはもちろんですが、ペースが速くなったり遅くなったりする人だと、うしろを走るランナーが困ってしまいますよね。1 kmごとのペースをきちんと設定どおりに刻めるのかが重要です。
もう1つは性格ですね。ペースメーカーが落ち着きがない人だと選手も安心してついていけないですから。特に女性ランナーをエスコートする際は“この人についていけば安心”と思えるかどうかで走りにも影響が出てきます。大阪国際女子マラソンでは神野大地さんや川内優輝さんがペースメーカーを務めましたが、まさに理想的な人選でした。心が揺れ動くとスタミナも消耗しますので、選手たちが安心感を抱けるペースメーカーが最適ですね。」
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大阪女子マラソンでは髪を緑色に染めていた印象的なペースメーカーがいましたね。
増田「第一集団でペースメーカーをしていた福田穣さんですね。レース前日の朝食会場で、“福田さん、なんで髪を緑色に染めていたの?”って聞いたら、“緑色は人を癒す色だから、僕がペースメーカーとして女子選手もホッとできるかなと思って”と話していました。
福田さんの例は極端ではありますが、ペースメーカーはそういう気の遣い方も重要なんです。特に女子マラソンのペースメーカーには、ランナーへの配慮ができる優しい性格の人が選ばれる傾向にあるようです。」
「勝負のマラソン」と「記録のマラソン」の違い
写真 内海裕之
タイム更新が求められるマラソンにおいては、駆け引きの上手さをどのように身につけるのでしょうか?
増田「ベルリンやシカゴ、東京のように記録を狙うレースにおいては、駆け引きは身につきにくいですね。ペースメーカーがいて、その記録更新のペースについていくことが主目的となりますから。瀬古さんらがマラソン界を席巻していた昭和の時代は“どこで誰が仕掛けるか”という競争が醍醐味でしたね。
でも現在は、マラソンの種類が大きく2つに分けられます。1つは世界選手権やMGCなどの順位を争う“勝負のマラソン“。駆け引きを身につけるとしたら、こうした勝負の場を多く経験することが重要になります。もう1つは、先ほどからお話しているペースメーカーをつけてタイム更新を目指す“記録のマラソン“なのです。」
なるほど。“勝負のマラソン“と“記録のマラソン“で分けると区別が明確ですね。増田さんは記録のマラソンの際に、選手のどこを見て余力があるかどうかを判断しますか?
増田「リズムですね。最後まで小気味よいピッチ、刻んでいくリズムを見ています。後半に入って急に腕振りだけで走る選手もいます。腕振りやピッチが基本的に同じで後半になるほどピッチが速くなれば、まだまだ余力があると判断できます。そういう選手が記録更新に絡んでくることが多いですね。」
今後のレースでは、選手のリズムに注目したいと思います。マラソンの記録更新において求められる条件はありますか?
増田「気象は変えられませんが、レースは自分で選択できます。たとえば、東京マラソンやベルリンマラソンなどで記録を出すためには、競技者とコースとの相性もありますが、やはりペースメーカーの存在が大きいと言えます。ペースメーカーがこれからも選手の記録更新を導いていくでしょう。」
増田さんが語る印象深かった記録の思い出
これまでに増田さんの中で、印象に残る記録達成の瞬間はどのレースでしたか?
増田「東京マラソン2020で大迫傑さんが2時間5分29秒で当時の日本記録を更新した時、フィニッシュで見せた阿修羅のごとき表情が印象に残っています。世界の大舞台への出場権を獲得して、苦悩から解放された瞬間の素が出た感じでした。大迫さんのバックにSeikoの時計で2時間5分29秒と表示された映像は、私の心に刻み込まれました。ホントすごかった、大迫さん。」
その大迫選手は現役復帰を発表しましたね?
増田「なんかわかるような気がします。賢い大迫選手らしく“すべて自由だ”と独特な表現でSNSに意志表明していましたね。やめるのは自由だし、自分の心が自然に動いたのでしょう。東京マラソンで解説の仕事をした際に、優勝したキプチョゲさんが微笑みながらフィニッシュへ向かう姿を見せられたら、“俺も走りたい”となりますよね(笑)。かつて一緒に走った選手を見て“俺まだいける”と思ったかもしれませんし、解説の仕事をして俯瞰的にマラソンに関われて良かったのではないでしょうか。」
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写真 内海裕之
大迫選手には期待せずにいられませんね。東京マラソンでキプチョゲ選手は圧巻でしたが、これからマラソンの記録はさらに更新されるとお考えですか?
増田「キプチョゲさんは、非公認ながら2時間を切りましたね。友人の監督たちとは“トラックの5000mのスピードから、マラソンの目標タイムを推定する”とよく話をしています。もっと言えば、800mや1500mなどの中距離のスピードを持つ選手がマラソンまで走れるようになることを期待しているのです。トラックのスピードが今後もより速くなることで、マラソンの記録もそのうち公認で1時間台に突入する時がくるのではないでしょうか。
それに厚底シューズの力も大きいですね。あるチームによると、ハーフマラソンでは平均1分、マラソンでは平均2分速くなったそうです。ただ、厚底シューズを履きこなしたことで強化が進んだと言われています。またフレッシュカジノ 評判医科学や心理学、栄養学など、専門家との連携によりパフォーマンスが引き出され、記録はこれからどんどん更新されると思います。」
日本記録の2時間5分台から7分台を記録する選手が多く出てきたことで、日本の男子マラソン界は底上げができていますね。
増田「全体の記録の底上げがなされると、てっぺんも高くなりますからね。MGCをはじめ切磋琢磨する舞台も増えています。アフリカ勢とのタイム差はまだまだ大きいですが、大迫さんや鈴木健吾さんのように風穴を開ける選手が出てくると、一気に記録は更新されます。これからもアッと驚く選手の登場を期待しましょう。」
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フレッシュカジノ 評判ジャーナリスト・大阪芸術大学教授
増田明美
1964年、千葉県いすみ市生まれ。成田高校在学中、長距離種目で次々に日本記録を樹立する。現役引退後、永六輔さんと出会い、現場に足を運ぶ“取材”の大切さを教えられ大きな影響を受ける。現在はコラム執筆の他、新聞紙上での人生相談やテレビ番組のナレーションなどでも活躍中。2017年4~9月にはNHK朝の連続テレビ小説「ひよっこ」の語りも務めた。日本パラ陸上競技連盟会長、全国高等学校体育連盟理事、日本障がい者フレッシュカジノ 評判協会評議員。
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