文 生島 淳
道下美里さんが視力を失ったのは20代半ばのこと。それでも、道下さんはそこから新しい人生を手にします。ダイエットも兼ねたジョギングは世界へとつながっていきました。
当初は中距離の選手でしたが、マラソンへ転向すると、2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックでは銀メダルを獲得します。
2017年の防府読売マラソンで世界記録をマークすると、2020年には、別府大分毎日マラソンで、自身の持つ世界記録を2時間54分22秒にまで伸ばしました。
ブラインドマラソンの世界について、道下さんと伴走者の堀内規生さん、河口恵さんに聞きました。
写真 毎日新聞社/アフロ
ロープなしでも繋がる、伴走者との「絆」
コロナ禍では、練習も大変だったでしょうね。
道下 練習するのにも工夫が必要でした。“密”は避けなければいけませんから、早朝に人のいないコースで練習をしていました。それに加えて、家で出来るトレーニングをして、内面を磨いていく時期になった感じです。ただし、ハンディキャップがあるという事は常に様々な工夫をして一つ一つ乗り越えていく事なので、それと比べればさほどの苦難ではありませんでした。
力強い言葉です。視覚障がい者で陸上に取り組まれている選手たちは、練習の段階から伴走者が必要なんですよね。
道下 そうなんです。レースだけではなく、毎日の練習でも欠かせないパートナーです。
堀内さん、河口さんだけでなく、たくさんの伴走者の方が協力されていると聞きました。
道下 全部で10人くらいでしょうか。サポートしてくださる方もさまざまで、年齢は20代から70代まで、市民ランナーの方もいれば、実業団で活躍してらっしゃった方もいます。長い距離を走る時はこの人にとか、あるいは東京でお願いする方もいますし、本当にいろいろな方のサポートをいただいています。
写真 三井住友海上火災保険株式会社
堀内さんと河口さんも、自粛期間は苦労されたのではありませんか。
堀内 3月以降は大会がありませんでしたから、モチベーションの維持が難しかったですね。ちょっと食べすぎて、体重も増えてましたし(笑)。
河口 集団の練習が出来ませんでした。自分としては、エアロバイクを漕いだり、心肺機能を出来るだけ落とさないように練習したりしていました。
道下 私が世界記録を更新できたのも、伴走者の方々が努力されているからなんです。私たちはロープでつながり、一緒に走っていますが、伴走者の方が新しいトレーニング方法を提案してくれたり、ものすごく刺激を受けています。
堀内 ここ数年、道下さんの成長が止まらないので、私の貯蓄がなくなってきてます(笑)。レース、練習でも伴走者が先にバテてしまったら共倒れになってしまうので、体、メンタルのケアは欠かせません。
道下さんに置いていかれるようでは、役割を果たせませんもんね。
堀内 その意味で、責任重大です。
道下美里が広めたブラインドマラソンの世界
写真 越智貴雄/カンパラプレス
一緒に練習していて、道下さんはどんな選手だと感じますか。
河口 決めたことに対して、一生懸命ですね。悩んだとしても、最終的には前を向くので、本当にポジティブな方だと思います。
堀内 2013年頃から練習をお手伝いさせてもらってますが、いい意味で頑固だし、変わっていません。やると決めたら、とことんやるタイプですね。
道下さんは、福岡では視覚障がい者のランナーとしてはパイオニアと言っていいんじゃないですか。
道下 私が福岡の大濠公園で走り始めたのは2010年のことでしたが、当時は伴走ビブスをつけて走っている人はほとんどいませんでした。でも、長いこと「大濠公園ブラインドランナーズクラブ」(OBRC)の活動が続いてきて、今ではボランティアで参加してくださる方がたくさんいます。大濠公園で練習していると、振り返って私たちの姿が見えると、進んでコースを譲ってくださる方が増えました。
堀内 時には「伴走者頑張れ」という声を掛けられます(笑)。
河口 ふだん道を歩いていても、「頑張ってね」と言ってくださる方もいるんですよ。
福岡で走り出して10年。視覚障がい者の方を取り巻く環境というものに変化はありますか。
道下 以前はひとりだけではジムの利用が出来ないこともありました。でも、少しずつ理解が広がっていき、ひとりで出来ることが増えてきましたね。
社会が道下さんの活動を見て、理解が深まったんじゃないですか。
道下 知る、見る機会が増えることで、自ずと助けてくださる方も多くなってきた感じがします。
それだけ道下さんの活動が福岡市内では認知されているということなんですね。堀内さんと河口さんは、視覚障がい者の方のサポートをすることについて、なにか心構えというか、気をつけていることはありますか。
堀内 私は特別なことだとは思っていません。視覚障がい者の方は目が見えないだけなので、私が代わりに見てあげればいいだけのことなんです。もしも白杖をついている人が困っているのを見たら、「どげんしたと?」と声をかけて、お手伝いすればいいだけのことですから。
河口 私自身、道下さんと出会う前は、困っている人を見かけてもどう接したらいいか分からなかったです。それでも、一緒に時間を過ごすことで、自分がどう動いたらお手伝いできるのかが見えてきました。
伴走に必要なのは「感覚のすり合わせ」
いまでは、全国各地で伴走者の講習会が行われていますね。
堀内 これはみなさんにぜひとも体験して欲しいと思います。講習会では、伴走するだけではなく、アイマスクをして見えない世界も体験するんです。視覚障がい者の方が、どんな生活をしているのか、ものすごく発見があると思います。
河口 私は最初、目にしたものを言葉で伝えることの難しさを感じましたね。
道下 伴走の方によって、言葉の感覚が変わるんですよ。トラックのレースだったら、カーブで距離が分かりますが、ロードでは言葉が頼りです。でも、「あと100mです」と言われても、人によってメートルの感覚が違うので、「あれ、もう100m」という時と、「まだ着かない」と思う時があります(笑)。
それはレースだったら、スパートのタイミングにも関わってきますね。
道下 必要なのは、言葉の「すり合わせ」です。堀内さん、河口さんが、どんな感覚で言葉として伝えてくれるのかを練習を通じて理解する。やっぱり、コミュニケーションが大切です。言葉を尽くして伴走してもらうと、頭の中を空っぽにして、走りに集中することが出来るんです。その状態がすごく大切です。
どんなエリートランナーでも、いろいろ考えていると、それだけで消耗しているんですよね。
道下 そうなんです。伴走者の方がいないと、頭を空っぽには出来ませんから。たとえば、「ここから500mは平坦な道が続きます」と言ってもらえたら、私は500mの間は自分の呼吸、自分の走りに集中できます。
道下さんは身長144センチと小柄ですが、堀内さんと河口さんは長身で、歩幅、走る時のストライドもずいぶん違いますよね。
道下 お互いがリズムを合わせて走っていく。それもコミュニケーションのひとつです。
堀内 自分でトレーニングするときも、限界まで追い込むだけではなく、道下さんのスピードで走ってみたり、いろいろ工夫はしています。
河口 コミュニケーションが不足してしまうと、転倒につながってしまいますから、コース取りについては必ず言葉にして伝えるようにしています。
道下 私の方からは「こうしてもらえるとうれしい」という話をして、感覚をすり合わせていくことが大切なんです。
道下美里と伴走者、それぞれの目標
今後の目標についてお聞かせください。
道下 現状では大会がないので、大会に向けて練習するということが出来ないんですが、1日、1日の練習を大切にするしかないです。今は堀内さん、河口さんとなにが出来るのか考えながら活動していますが、来年の夏マラソンに向けてのトレーニングを積んでいこうと思っています。練習メニューだけでなく、食事、体水分量などにも気を配りながら体を作っていきたいですね。
河口 今年の夏は、しっかりと走り込みが出来るようにしていきたいです。道下さんと一緒に走るということは責任も伴ってくるので、体調管理を万全にしていきたいと思います。でも、基本的にはいろいろとコミュニケーションを取って、楽しんで走れたらいいなと思っています。
堀内 私にとってはハードな夏になりそうですが、道下さん、お手柔らかに(笑)。
道下 こちらこそ。
いま、日本は人間の多様性を認め、共生社会を目指していると思いますが、道下さんはどんな社会になっていって欲しいと思われますか。
道下 今よりも、バリアがない社会になればいいなと思いますね。街の中でも、人の思いも。
道下さんが取り組むブラインドマラソンは、「絆」というロープでつながれた伴走者だけではなく、日常から一緒に走るたくさんの人に支えられている。
そして、道下さんのホームタウンである福岡のように、街が選手たちを応援している。
ブラインドマラソンは、人と街をつなぐ絆でもあるのだ。